のぞみのブログ

いままで通り、書いていきます。

「20歳超えたらあとはずっと余生」 ――甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)×志磨遼平(ドレスコーズ)対談 by ナタリー―― 

いよいよ2013年も終わる。前回の更新から2か月も経ってしまい、その間も何か書こうという思いはあったのだけれど手が進まなかった。ちょうど年の暮れのいい時期、みんなが今年を振り返る時で、その流れに乗って久々の更新をしてみる。

 

この記事は10月の終わり頃に見つけた。

ヒロト ロック好きなやつはみんな20歳超えたら余生だよ。もうずっとそれが続くだけだもん。レコード聴いて、気が向いたら歌って。

志磨 そうですね。

ヒロト なんの荷物も背負わんでよくて、好きなことやればいいんだよ。それができてない人はたぶんね、免罪符が欲しいんだよね。

志磨 免罪符?

ヒロト こんな幸せだとバチが当たっちゃうと思ってるから苦労しようとする。なんか背負いたくなるんだね。背負うという娯楽だね。

志磨 日本人は浪花節みたいの好きだから。

ヒロト ただなんとなくやっててヘラヘラしててうまくいってる人のことを認めるのは悔しいんだと思う。

志磨 初めっからできることがあるっていうのを誰も信じてくれないですね。

http://natalie.mu/music/pp/dresscodes04/page/4 ナタリー、ドレスコーズ特集より)

この「20歳超えたら余生」の言葉が今も頭に残っている。実際、20歳を過ぎたあたりに同じことを感じた。「ああ、きっと俺はこのまま生きていくんだろうな」と、先が見えた。働いたり結婚したりと日常生活は当然変化するだろうが、自分のこの頭の中、精神やらはきっとこのまま変わらず生きていくのだろうと悟った。別にそれは悲しいこととは思わない。もうこれ以上俺は変化しないとか、新しいことはこの先何も待っていないというわけではないからだ。自分の底を見つけたようなものだ。これ以上は何もない。無理に掘り下げようしても無為に終わる、そんな鉱脈の限界に突き当たった。これより先にできることは、鉱脈を生かすことしかない。それは働くことで生かされたり、文章を書いてそれを表現したり、本を読んで新たな生かし方を見つけたりと、とにかく原料はもう見つけてしまったわけで、後はそれをどうするかなのだ。ほとんど余生の過ごし方は決まっている。

この認識はそう的外れでもないらしい。小林秀雄岡潔の『人間の建設』(新潮文庫)の中で、小林秀雄ドストエフスキーに対して、あの人は20歳を過ぎてからは振り返ることなく、ただ走り抜けるように小説を書いて生きていったと言っている(本が手元にないので曖昧。たぶん全然違うことを言っているだろう。しかし20代を過ぎてからはそのまま生きていった、というところは確かだ)。小説を書くことしかできなかったし、それがしなければいけないことだとわかっていたのだろう。社会学者の大澤真幸は、自分が考えているのは20代に考えたこと以上のものではないと言っていた。これはどうやら研究の分野では頷けることらしい。若い時に考えたことを年齢とともに深めていくということだろう。

免罪符について言えば、いつも自分の辿り着く場所を未来に置いておくのはひとつの免罪符なのではないかと思う。目標を持ち続けることで幸せにならずに済むのだ。常に自分は何か欠けており、それを補わねばならない。明確な目標でなくとも、何歳には何歳らしくあろうと理想を持ち続けることで、今の不幸を肯定できるし幸福にならずに済む。自分について言えば、幸福ほどどう振る舞えばいいかわからない時はない。幸せをどこかで避けているところはある。

中島敦の『狼疾記』の中にこういう話がある。教師である主人公の同僚が主人公に対して言った話で、人生を螺旋階段に喩えるのだ。一周すると一つ下の階の時と同じ風景が見える。上の階の方が微かに高いところから風景を見ているのだが、その違いはほとんど無い。これも上に書いた20歳を区切りとする考えに近いものだろう。ある時から風景は変わり映えしなくなる。徐々に高くなっていくがその差異は僅かなものだ。