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のぞみのブログ

いままで通り、書いていきます。

働く前に。社会で必要な考え方。―『自分のアタマで考えよう』 『採用基準』―

いよいよ就職活動が始まろうとしているが、その前の準備にいい本はないかと探して見つけたのがこの二冊。どちらも社会で働くために必要な考え方が分かりやすく書かれている。

 

1.「どこで働くか」より「どう働くか」―『自分のアタマで考えよう』(ちきりん著、ダイヤモンド社、2011)

一つ目は『自分のアタマで考えよう』。著者のちきりんさんはツイッターで知った。“おちゃらけ社会派”と称して社会問題を分かりやすい切り口で説明している。ブログとツイッターで情報発信しており、どちらもおもしろい記事が多い。

ツイッター→ https://twitter.com/InsideCHIKIRIN

ブログ→ http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/

本書の内容だが、タイトルから思考法について何か教えてくれるのかと期待する人が多いと思うが、読んだ限り、そこまで目新しいことは書いていないと思った。むしろ人によっては「こんな当たり前のこと、わざわざ言わなくても……」と感じる人も多いと思う。

しかし考えてみると、集団で行動している時、必ずと言っていいほど「そこは自分で考えてやってくれよ」と思う時があるはずだ。起こり得るリスクや利益を予想して、すべきことを論理的に導くことは、一見当たり前のようでいて実際そうはいかないことが多い。「まあ考えればこういうことになるだろう」と思って他人に任せていると、予想外の結果が飛び込んでくることもある。

本書はそういう「当たり前」と思われている思考を丁寧に解説してくれている。知識と思考の区別・理由や原因の問いかけ・可能性の列挙――文字にすると「そりゃそうだ」と言いたくなることだが、それを他人に説明したり自分で確認する時には自然と言葉にしにくいことだ。だから本書を読むことで、自分の思考についての反省、または思考法の共有に役立つと思う。「自分はちゃんと考えられているか?」と思えば、この本を読むことで確認ができる。何か気付くことやはっとすることがあれば、そこが自分の思考に足りなかったところだと分かる。ミスや失敗の多い同僚に「考えること」について教えたいときには、本書の内容はとても参考になる。本当に丁寧に書かれており、大抵の人は理解できる内容だから思考法を教えるには最適だ。他人と本書の内容をもとに「考えること」の反省、吟味もできると思う。

 

僕が一番印象に残っているのは、情報よりもフィルターが大事という意見だ。現代では就職活動をしている人々にとって企業研究は必至のことだろう。希望する業種を研究し、企業の売上高や利益率を徹底的に調べる。それは確かに生活に安定を求めようとする昨今では有力な情報ではある。しかし、そのような数字に現れる情報だけでは希望する職業への適性は判断しにくい。自分にその職業が合っているのかどうか、仕事に全くついていけないことはないか、そういった疑問は数字だけでは解決しきれない。

そこでちきりんさんは「フィルター」を使うと述べる。それまでの自分の外部に求めていたフィルターを、さらに自分に近づけるのだ。先ほどの企業研究で得られる情報は、「売上高が高ければいい企業、低ければ悪い企業」「利益率が高ければいい、低ければ悪い」といった、荒いフィルターで取捨選択されていると言える。情報選択の基準が曖昧で、欲しい情報が入ってきにくい。これが欲しかったんだよ!、と要求にちょうどはまるような情報はもっとフィルターを吟味しなければ得られない。その時に必要なのは、自分が無意識に採用しているフィルターを明確にすることだ。自分の選択の基準を表現しようとすると、意外に難しいことが分かる。実際上はちゃんと選択できているのだが、それを相対化してはっきりと自分の目の前に置こうとすると上手くできない。しかし、それこそ自分の選択に必要なフィルターだ。就職活動での情報収集でも、このフィルターが一番役に立つ。それではどうやって自分のフィルターを明確にすればいいかというと、やはり行動あるのみ、と言える。一つの業種・職種に限らずに多種多様な仕事を経験することで、自分のフィルターが徐々に明らかになっていく。考えているだけでは見つからなかったことが動くことで見つかることは多い。本書によると、アメリカの大学生は1年生の頃からインターンを始めて職業経験を積んでいるそうだ。ドイツにおいては、10年近くも学生を続けてインターンを何個も経験し、30歳くらいで最初の職業を決める人もいるらしい。自分のフィルターを見つけるということが海外では重要視されており、それは経験によって見つけるものだという認識がある例だろう。

 

フィルターの話に付け加えて、ちきりんさんの、このつぶやきが気になった。

この考えは働くことに関する僕のフィルターを少し変えてくれた。確かに「どれだけ稼げるか」より、実際は「どうやって稼いでいるか」を見た方が会社選びには有用じゃないかと思う。今は結果だけを見ても、この先もその結果が続くかと問われては不安になる社会だ。その中では結果より手段、方法に目を向けた方が良いだろう。1,2年前に話題になった『20歳のときに知っておきたかったこと』の著者であるスタンフォード大学教員のティナ・シーリグさんも、担当授業で「5ドルを二時間でできる限り増やす」という課題を学生に課していたと聞いたことがある。これも働く上で手段を重視することの表れだと思う(もっともシーリグさんは起業家対象やイノベーションの授業でこういう課題を与えているので、彼らにのみ当てはまるのでは、とも言えるが)。

 

もうひとつ、もはや本の紹介とは関係のないことになってしまうが、ツイッターで見つけた面白いつぶやきをいくつか。

これらのつぶやきは2013年9月14日に行われた、ちきりんさんの新著『未来の働き方を考えよう』のソーシャルブックリーディング(いわばweb上の読書会)の中でつぶやかれたもので、その中の僕が面白いと思ったつぶやきだ。

「好きなこと」と「得意なこと」を別に考える視点は新鮮だった。労働初心者の僕はそこを混同してしまうことが多い。けれども社会の中では当然、「得意なこと」の方が求められる。働くことを手段として見たら、仕事選択の基準は得意かどうかにするのが良いだろう。この二つを分けないと仕事一辺倒になってしまう。それは精神的につらいことだと思う。ただ、『スラムダンク』の作者である漫画家の井上雄彦さんは他の作品『バガボンド』の中で、高校生の頃にあえて漫画家の仕事を選んだと言っている。好きだからこそ今まで続けてこられたという。そのおかげで、長年漫画家の仕事を続けてこられただろうし、今や漫画の域を超えようともしている。井上さんの中で漫画は、昔のような好きなものというより、もうそこから離れられないような、自分と一体となったものになっているのだろう。好きと得意の二極を超えたところまで来ていると思う。

 

2.「リーダーシップ」じゃなくて「Leadership」―『採用基準』(伊賀泰代著、ダイヤモンド社、2012)―

 もう一つは伊賀泰代さんの『採用基準』。友人から「けっこうおもしろいよ」を薦められたので読んでみた。

著者は元マッキンゼーの社員というバリバリのキャリアウーマンで、現在は退職しインタビューサイトを運営している。

こちら→ http://igayasuyo.com/

 

内容はタイトル通り、かつて就いていたマッキンゼーの採用基準について述べている。世界中から金融関係の優秀な人材が集まるマッキンゼーは一体どんな人物を求めているのか、その詳細が書かれている。そして著者はまた、マッキンゼーで求められる人材は現在の日本でも求められるものではないかと言う。

 

その採用基準を僕が一言でまとめれば、「leadership」である。

本書の中で著者は、日本ではマッキンゼーが求めているのはとにかく優秀な人材であるという誤解がはびこっていると言う。この場合の優秀とは、知識や思考法などの分析の道具を豊富に持ち、ケース面接(特異な状況を持ち出してどう対応するかを見る。「富士山を動かすにはいくらお金が必要ですか?」など)で定式通りに問題を解く能力である。それは学校の中での優秀さに近い。与えられて問題に対していかに早く適切な処置を施せるか。その早さや知識量によって優秀さが計られる。

しかしやはり、それは学校教育までの話である。著者はビジネスの世界で求められる優秀さはそうではなく、「リーダーシップ」であると述べる。マッキンゼーは日本式のいわばお利口さんではなく、将来のリーダーとなる人物を求めているのだ。ただ、この「リーダーシップ」を、これまた日本に合わせて「他人に適切な指示を出して、集団を引っ張っていく能力」と考えるのは少し違う。確かにそういう能力も含んではいるが、この言い方だと「リーダーシップを持つ者以外は単にその人に従えばいい」という考えを生みやすい。そうではなく、マッキンゼーの言う「リーダーシップ」は、「目的を達成するために、集団をけん引する能力」である。目的の達成のために自分は組織の中で何ができるか、それを理解して実行する力と言える。他人に指示を出すのも、与えられた仕事を忠実にこなすのも、マッキンゼーからすれば「リーダーシップ」の範疇なのだ。

なぜ「リーダーシップ」にそのような意味も含まれるのか。その理由として、組織の形態が上から下へと連なるピラミッド式ではなく、横に広がるアメーバのような形態であることが挙げられる。ピラミッド式ではリーダーシップを持つ者は当然上部に限られ、先程書いたように、下部の者はただ従えばいいという形になる。しかしアメーバの形では、誰が上か下かという区別はなく、皆が同じく一つの目標について考えている。目標のためにできる最善策は何か、それをいかに実行するか、そういうことを決してリーダーシップを持っている者だけが考えるのではなく、集団全員で考える。そして導き出された策を分担して着実にこなしてゆく。これらをまとめて「リーダーシップ」と呼んでいる。しかし、日本でそんなことをすれば意見の衝突が起こってしかたないと言うかもしれない。誰か一人がばしっと決めてくれた方がいいのでは? 確かにその方が楽ではある。だが「リーダーシップ」には独善的な要素はない。達成すべきは目標であって、議論の解消ではない。「リーダーシップ」を持つ者ならば、自分の意見がとにかく通ることよりも、目的の達成に有益かどうかを重要視する。本書では、他人の意見の方が優れていると思った矢先、まるで最初からそう考えてましたというが如くその意見を述べる同僚が挙げられている。意見が採用されることよりも、集団の利益につながるかを見ている例だ。

 

 こう考えてくると、「リーダーシップ」は今までの和製英語の意味から離れて、原語の意味に近づいていると思う(元が英語なのだから当たり前ではあるが)。アメーバ状の組織においては皆、自分が組織を引っ張っていく意識を持っている。組織のために一番有用な案を考え、それを他の組織の構成員と照らし合わせ、さらに良い案はないかと吟味していく。それはまさに集団を目的達成のために「引っ張っていく」=“lead”する力、すなわち“leadership”を表している。原義から考えれば、リーダシップは集団の内の人々が当事者意識を共有することとも言える。組織の一端を担っていること、組織の利益のために何ができるかを考えることなどは、例えれば自分の乗っている船を前進させるためにオールをこぐことだ。当然、オールをこぐ人数は多い方がいい。掛け声をかけたり方向を見定める人も必要だが、まずはオールを力いっぱいこぐという基本は達成しなければならない。オールを握っている意識、それが“leadership”を言えるかもしれない。

 

 

 

 こう、理論は書けても、結局仕事できなかったら、だめだめですよね……これからこの文章に追い越されぬよう努力しないと。12月1日が始まりです。あと、後半のleadershipについては僕の解釈です。本書には書いていません。けれどこれは中々的を得ているのではと思います。『採用基準』とはいうものの、中身はほんとリーダーシップの話ばかりです。タイトルそっちのほうが良かったんじゃないかと思うんですが、印象を考えたらやっぱり『採用基準』がいいかもしれないです。