読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

のぞみのブログ

いままで通り、書いていきます。

「僕たちが今日、世に出すことのできる一行一行は……

そろそろ大学で自分が研究する対象を決めないといけなく、どうしようかとぶらぶら図書館で本を眺めていて、それとなく手に取った本をめくってみたら1ページ目に書いてあったのがこの言葉。

 

「僕たちが今日、世に出すことのできる一行一行は――それを委ねる未来がどんなに不確かなものであろうと、――闇の力から戦い取った勝利なのだ。」

ヴァルター・ベンヤミン Walter Benjamin

(1940年1月11日、ゲルショム・ショーレム宛の手紙)

ハワード・ケイギル他 『ベンヤミン』久保哲司訳、ちくま学芸文庫、2009年。

 

哲学書なんてそこに書いてある内容は8割方理解できないのが常。これを書いた人はほんとに誰かに伝える気があるのかと疑問を持ってしまう(僕の場合そういう本読んでると10回以上「ちょっと何言ってるかわかんないです……」てつぶやきます)。初めて見る横文字のオンパレードに文法がちょっと狂っている文章。いつのまにか自分が文字の上でずっと迷子になっているようになる。どうやっても現実に帰れない。

 

それでも哲学書を読むのをやめないのは、このベンヤミンの言葉のようなとてつもない言葉に出会うことがあるから。たった一言が、それまでの訳の分からん文字で満たされた頭にバットで殴ったような衝撃を与えてくれる。もやもやが一気に吹っ飛び、ものすごい爽快感をくれる。僕はそういうとき勝手に頭の中で好きな音楽が流れ始める。便利な機能を僕は持ってると思う。最初にドラムが聞こえてきて、ベース、ギターと入ってきて、ボーカルの声で一気に響きあう。自分の中では哲学の衝撃とパンクロックの激しさはほぼ同じもので、同じリズムで鳴り続けるドラム、耳を抉ってくるような歪んだギター、深いところで黙々と響かせるベース、どれも僕の中では哲学と同じものだ。

 

この言葉はそこまで哲学よりな言葉ではないかもしれない。それでも文学部という、文字とひたすら向き合うことを使命としている場所にいる身としては座右の銘としてもいいものだ。どんな文字もそれを書いた人が暗闇の中で戦って必死に生み出したもの。暗闇を少しでも照らそうと作った光。でもそれはすぐに消える。一瞬明るくなったかと思えばすぐに暗くなる。そしてまた照らそうと文字を作ろうとする。僕はそういう光を集めたい。そして作りたい。誰にでも見える明るい光でなくて、遠く細やかに輝く光でもいい。たぶんそういう光は迷って迷って仕方ない人には見える光だと思うから。

 

これから就活を経て社会に出ていくことになると思うけど、どんな形であれ文字には関わっていきたい。というか文字に関わることが僕のできる唯一といってもいいことだ。これはメディア関係の仕事につくと限って言っている訳ではなくて、仕事とは別にしても、こういうブログなどで光を作り続けられたらと思う。エッセイ、小説、批評、評論、戯曲、脚本、ルポ……挙げればきりはないが。