のぞみのブログ

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【またまた映画】『バタフライ・エフェクト』【またまたネタバレ】

夏休み恒例の怠惰と連日のゲリラ豪雨で、特にすることもこれといったやる気も思いつかない今日この頃。なのでまたまた、映画を見てぼんやり楽しむことにした。雨の晴れ間を狙って駅前のツタヤに走って借りてきた。今回は『バタフライ・エフェクト』。

 

記憶に関する物語ということは聞いていた。記憶をテーマにした作品では以前ノーラン兄弟の『メメント』を見たことがあって、その物語性を前面に押し出した話に大興奮した。同じく記憶モノのこの作品も絶対面白いだろうと期待していた。タイトルの「バタフライエフェクト」=カオス理論も興味を存分にそそる。

 

ストーリーはとても複雑で、簡単に言おうとするとどうしてもネタバレをせざるを得ない。しかしここはそれを押し切って堂々とネタバレ込みのあらすじを書きたい。この映画の主人公は実は、自らの記憶を書き換えることができる。自分に不都合な記憶、他人を不幸にしてしまう記憶を片っ端から変えていこうとする。しかし記憶を変える度にどこかで不都合が起こったり、誰かに不幸が襲いかかってしまう。何度も何度も書き換えを繰り返し、遂に主人公はひとつの決断をする……。

 

記憶を書き換えと現実との対照は当然発生するものだと思われる。どんなに都合よく記憶を変えても実際の世界とつじつまが合わなければ意味がない。だからこの映画の序盤では、観客は記憶と現実のすり合わせがテーマのように思うだろう。いかにして主人公は現実という真実をつかんでいくのか。しかし徐々に、映画全体がいわば主人公の頭の中のみで進行していることがわかってくる。彼は現実とのすり合わせなど根っから考えておらず、ひたすら記憶を自分にとって最高のものに作り変えようとしているのだ。誰も不幸にならない楽園を目指す彼の姿は悲哀に満ち満ちている。あちらが幸せならこちらは不幸に、ひたすら角が立ち続ける。どんなに頑張っても誰かが不幸になる。しかし彼は何度も何度も記憶の奥底にもぐり込んでいく。

 

話が盛り上がっていくほど、序盤に抱いていた「現実」の問いはもはや意味を成さない。現実は記憶と対照的に存在するものではなく、記憶それ自体に変わる。彼にとっては書き換え続ける記憶こそが現実なのだ。

 

この映画のエンディングは複数用意されていた。レンタルDVDには別の二つのエンディングが、セルDVDにはディレクターズカット版のエンディングが用意されている。僕が見たのは当然レンタル版なので二つのエンディングを直に見たが、セルDVD版は申し訳ないがネットでネタバレを拝見した。どのエンディングにしても、結局彼の「現実」は記憶のままで、記憶の中でストーリーは終わっていく。

 

先日見た『ジョニーは戦場へ行った』もこの主人公と同じように、自分の意識のみが現実となっている。しかしこちらは微かながら現実と通じ合うことができている。窓から当たる陽の暖かさや自分を看病する看護師の肌などが映画内で描写されている。それと比べると『バタフライ・エフェクト』は主人公の意識以外をすべて切り捨てているので『ジョニー』よりも絶望的な状況だ。ひたすら自分の内部に閉じ込められたまま、記憶だけをこねくり回す世界。救いのなさは随一の映画だ。

 

ただ気になるのは、同じく記憶モノの『メメント』と比べて『バタフライ・エフェクト』の場合、主人公の右往左往ぶりが少し鼻につくことだ。とにかく誰も不幸にならない、自分の思い描く通りの「現実」を作ろうとする主人公は、見方によればただの甘ちゃんにもなってしまう。とにかく優し過ぎる。劇中にも出てくるが、まさに神のみぞ為し得ることをしようとする主人公は、最後まで記憶を楽園にすることに情熱を傾け続ければまだ甘ちゃんではなかったが、ラストに近づくにつれて精神が崩壊していくのが明らかだ。終盤でついに主人公も自分が記憶を書き換えているだけだったことに気付くが、その後彼は

すべてを初めに戻してしまう(これはどのエンディングにも共通すること)。ここで彼がむしろ開き直って、記憶を書き換え続け理想の「現実」を追い続ける決断をしたらただの優し過ぎる男ではなかっただろう。ここが唯一気にかかったところだ。

 

メメント』の場合、その特殊な物語構成によって観客は最初から主人公の行きつく結末を知っている。しかし主人公は、妻を殺した犯人に復讐するという最終目的ははっきりしているものの、記憶が10分しか持たないという特殊な障害によって自分がいかにして今の状況に陥っているのかはわからない。僅かなヒントを手掛かりに犯人を追う主人公だが、実は彼は犯人を既に自らの手で殺しているのだ。しかしこのことには最後まで気付かない。彼は犯人を殺すという憎しみを抱えたまま、何度も何度も犯人捜しを繰り返しているだけだったのだ。『メメント』の主人公も『バタフライ・エフェクト』と同じく記憶の中に閉じ込められたままである。しかしこちらは最後まで、そして映画が終わった後も「犯人を殺す」という理想の「現実」を追い続ける。幸か不幸か、記憶が十分しか持たないという障害のおかげで。

 

メメント』ももちろん救いのない映画と言える。しかし自らの意志のみを支えに、たとえその結末がバッドエンドだとわかっていても進む『メメント』の主人公の方が『バタフライ・エフェクト』のそれよりも魅力的だと思う。

 

上で書いた二つの作品はどちらも記憶モノで救いのない物語であるが、記憶モノはむしろコメディに使いやすいのではないかと思う。片思いのあの子と付き合うためにひたすら記憶を書き換え続けたり、ある秘密を守るために必死で記憶を改ざんしたりする。しかしどうしてもつじつまが合わなかったり、あちらを立てればこちらが立たずで主人公は振り回され続ける。どうも『ドラえもん』あたりで既にやられてそうなネタではあるけど、もっと大きく映画の一つのテーマとして扱ってもいいのではないかと思う。